人生は靴下のごとく

雑記

こんばんは、最近はもっぱら持ち物の整理に明け暮れている拓郎である。

いつも〜ですます調の文章だと書いていてつまらないので、今日は〜である口調でいこうと思う。

 

さて、ここ数ヶ月くらい、いろんな機材を好き放題買っていたら部屋が狭くなってしまって、ついに鈍くさびきっていた僕の仕分けスイッチが入った。

  • 使わなそうな機材
  • 1年以上着てない服
  • 1年以上読んでない本
  • 1年以上聞いてないCD

とにかく「これはいま必要ではない」ものを数日かけてエイヤッと全部処分した。なんとまあ心地の良きこと。湯上がりのビールのごとく爽快とまではいかないまでも、ゆで卵の殻を5個くらい連続でスルッとむけたときと同じくらいの気持ちよさはある。

改めて部屋を整理すると自分が今までどれだけ無駄なものをコツコツ溜め込んでいたのかしみじみわかるものだ。

穴の空きかけた靴下、なんでこんな柄のものを買ったのか全然分からない靴下、毛玉の巣窟と化した冬場用の極太の靴下、履きすぎてあまり保温性のなくなったヒートテック靴下、片方がどこかに行ってしまった靴下、明らかに自分のものではない靴下。

靴下だけでもこんなにたくさんある。機材や服にいたっては、細かく書いていくとそれだけで一日潰れてしまうので、「小さくなって着れなくなったシャツ」を一番多く捨てたと言うだけにとどめておこう。

念のため言っておくと、けして僕が大きくなったのではないシャツが小さくなったのだ。

知らない人のために教えておくと、シャツは年を経るごとに縮むのである。これは来年あたり教科書にも載るのではないかともっぱらの噂なので覚えておいて欲しい。

あと、この際だからついでに言ってしまおう。僕はライブハウスとかで暫くぶりに会う人に

「背、伸びた?」

とよく言われるのだが、ここ15年くらい背は伸びてはいない。これは教科書にのることはないけど、覚えておいて欲しい。それから筋トレもしてないし、格闘技もやっていない。

あと僕の家族は毎回会うたびに「あんたこんなでかかったっけ?」と心底驚きながら言うのだが、もう何年も前からでかいのだ僕は。いい加減驚くのはやめて欲しい。

 

閑話休題。

 

持ち物を処分しまくっているとは言っても、けして断捨離しているわけではなく、むしろ物は増えている。部屋のスペースは狭まっているのである。

スペースを1番取っているのは以前このブログにも書いたギターアンプだ。このアンプは凄く良い音で鳴るのだけれど、鳴っていない時はただのデカくて四角い物体でしかなく、邪魔でしょうがない。

使っていない時は飲み物や食べ物を置く台にしてやろうかと思ったが、値段を考えるとグヌヌと踏みとどまってしまう自分がいて、なんだかイラつく。

 

二番目にスペースを取っているのはカメラ機材である。実は僕は最近写真や映像製作にハマっていて、暇なときはいつもそっちのことを考えている。

F値がどうのとか、35mm換算だとMFTの8mmは画角が16mmだとか、可変NDフィルターがどうのとか、10bitと8bitはぜんぜん違うだとか、そういうのを調べながらアマゾンで眺める&時々ポチッとするのが素晴らしく楽しい。

大半の人にはわからないことを承知しながらも書かせてもらうと、カメラはパナソニックのGH5Sというわりといいやつを買った。パナソニックは最近S1Hというものすごく高いやつを発表して、そっちを買おうか迷ったのであるが、さすがにでかいし高いしでギリギリで踏みとどまった。本当に危なかった。

レンズも揃えて、ジンバルも揃えて、防湿庫も買って、もう完全にカメラおじさんと化した自分は、買ったものをときどきフル装備して動画や写真を撮りに行って、家でデュフフと編集をするのが最近の楽しみである。今はまだ街とか風景とかだけだけど、そのうち山も撮りに行きたい。

撮ったものをいじっていると、今は映像環境を揃えるのに昔ほどお金がかからなくなった良い時代なのだと実感する。素人の僕でもそれっぽいものが撮れるのだ。

After EffectsとかもYou Tubeのチュートリアルを見ながらやれば、お茶の子さいさいでCMとか映画とかで見たような映像を作れる。本当にいい時代である。

もちろん、作品を作るための敷居が下がったのは映像だけではなくて音楽だってそうで、これからさらにどんどん面白い人が増えてくると思う。

 

さて、ここまで書いてきて今更だけれども、実を言うといまめちゃくちゃ腰が痛い。知らぬ存ぜぬで書き通そうと踏ん張っていたのだが、凶悪な腰の痛みにとうとう負けを認めざるを得ない。

腰、いたい。

靴下を履くのにも「うぐぅ」とか「あぁぁ」とかうめかないと履き通せないくらい痛い。痛くない態勢を手探りしつつ、両足履くのに1分くらいかかる。それで履いた靴下に穴が空いていたひには本当に泣きたくなる。

原因はよくわからないけど、痛くなり始めたきっかけは先日のZa Feedoのリハである。リハ中に変な態勢でメイちゃんの話を聞いていたら、だんだん痛くなっていった。

ちなみにいい機会なので宣伝しておくとZa Feedoは10月25日に月見ル君想フで活動休止ラストワンマンライブをやるのでぜひ友達をお誘い合わせの上見に来て欲しい。

とまあ宣伝はこれくらいにしておいて、差し迫った腰の話に戻ろう。リハのときになんだか痛いなぁと自覚してから2~3日で治まったのに、昨日の部屋の模様替えで再噴火した感じである。一旦油断させておいてから人を絶望に陥れる「エクソシスト」のタチの悪い悪霊のような、極悪な腰痛だ。

移動した棚の下に床傷防止マットをむりやり入れようとしたのが悪かったのだと思う。目に見えて悪化した。あれが地獄の釜の蓋だったのだ。

いやまてよ、それか前日のジョギングのあとに光の魔術師イルコのカメラチャンネルを見ながらついのめり込んでストレッチしすぎたのが悪かったのだろうか。それとも寝る前にエイムの鬼えとなのスプラトゥーンチャンネルを見ながら「ナイスゥ~」と連呼しつつストレッチボールで腰をぐりぐりしすぎたのが悪かったのか?

なんにせよもうあとの祭りで、もはや僕は海岸に打ち上げられた瀕死のオットセイのようにそっと静かに横たわっていることしかできない。この文章だってなるべく腰を刺激しないよう、息を殺しながら布団の中で書いているのだ。気配を殺すとはまさにこのことじゃなかろうか。今ならジャングルで完璧な待ち伏せができる気がする。

そして今なんとなくこの文のタイトルを「人生は靴下のごとく」とつけてみたけれど、腰がいたいとタイトルだってうまくつけられなくなるのである。

みなさんは、人生は靴下のごとくってなんだ?と思われたかもしれないが、正直自分でも何を言っているのか皆目見当がつかない。

え?人生と靴下?もしかしてsuckとsockをかけてる?と思った人がいたらそれは深読みのし過ぎであって、本当に全く200%意味なんてないのである。

僕はさっきから布団の中で意味もなくニヤニヤしながら、ブログ記事のタイトルを意味のわからないものにしてやろうという謎の黒い欲求に従ったに過ぎない。

腰がおかしくなると人間はここまでおかしくなってしまうという良いサンプルである。

 

 

かみさま、もう二度と変な態勢で人の話を聞かないので、痛みをなくしてください。

 

 

あ、そうそう、それから多分わりと近日中にヤセイからニュースがあると思うのでお楽しみに。