アメリカの話

皆さんこんにちは。

今回はベースの中西です。

今回はなんでアメリカでレコーディングするにあたり、思い出話を含めてお送りします。

時は2007、新卒で入った会社を辞め、音楽の道を志すと決めた俺はアメリカに渡り、音楽学校に行くことにしました。そして選んだのが、ドラマーに非常に人気の高かったLAMA(当時の名前)です。

元々ドラムフェチだった俺は、良い「ベーシスト」よりも良い「ドラマー」がいるところに行きたい!と思ってたので。

音大出の両親の影響でピアノは教わっていましたが、ベースに関しては高校1年からずっと独学だったので、本場で習うというのは本当にかけがえのない体験でした。

まあ行ったら行ったでマクドナルドの注文ひとつでもとても苦労して、最初の1週間はほんとに心細かった記憶があります。まあ住めば都、すぐ慣れるもんだね。

リスニング試験とか、大学の英文科では絶対に遭遇しないであろう、「スペイン語訛りの英語」にヤラれたからです(ロサンゼルスはメキシコからの移民が非常に多いので)

なんとか慣れてレジェンドたちのライブ見に行ったり、寝ないで練習したりして半年が経ったころ、その後の人生を左右する人物があらわれました。

何を隠そう、ヤセイコレクティブのリーダーの松下マサナオです。

お互いトンがってはいましたがいつしかリズム隊で一緒に練習する仲に。一時はルームシェアしてましたね。

2人が初めて会った、LAMA(LA music academy)の中庭

ハンバーガー屋”Lucky Boy” ギリシャ人のいつも怒ってるオヤジが、「ダッキーボーイ!(怒)」って電話を取るのがおもしろかった。ズッキーニフライっていう、4ドルくらいで箱一杯に入ってくるズッキーニの揚げ物よく食いました。

そして俺が半年早く卒業し、いきなり客船で演奏する仕事を始めてしまったので、お互い日本に帰ったらバンドやろうぜと約束してまた月日は流れます。

俺が乗ってた船 Norwegian Star 今見てもデカい

そして帰国した2009年に、実際ほんとにバンド始めるとは!!

ヤセイコレクティブは4月にアメリカでレコーディングしますが、これはある意味向こうに置いてきたものを回収しに行く旅でもあるわけです。楽しみな反面、日本に帰ってきてから今まで一生懸命に培ってきたものをどれだけ里帰りさせられるか、それが問われているような気がします。

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